コロナ序盤戦
まだ収束には遠くいつになるかもわからないが、一先ず序盤戦は終わった感のあるなか、
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非常に納得のいく記事で、目の覚める思い。
韓国にできてなぜ日本にできないか、台湾はなぜあんなにうまくいくのか、、、なるほど歴史が違う。
最近世界でも日本でも「分断」というのがキーワードになっているが、日本の格差ぐらいのことを分断と称するのはやや大げさな気もしている。
大戦後の秩序の中での北朝鮮と韓国の分断、中華人民共和国と中華民国、外省人と本省人の分断の政治的深刻さや長い苦闘の歴史を前にすれば、なぜなどと安易に問うことはできない。我々は結果を出すに値する代償を支払ってきたのかという。
別に代償を支払うべき、とも思わない。その歴史に敬意を表し、共感し、学ぶことができる、というだけだろう。
オードリータンは政治家ではない。日本でも大臣が政治家である必要はなく、誰でも(民間からでも)指名できるらしい。
となると対比すべきはホリエモンだろう。有能さと政治的野心をもっていた唯一の人間だと思うが、もし仮にそんなことが起こり得ていたとして、我々はそれを受け入れられただろうか。歓迎するだろうか。
ない袖は振れないのです。金以上に人材というのは。
note.com
上記記事は主題以上に現状認識の見立てが深くて素晴らしい。
今回のコロナ禍で日本は戦時の発想に簡単に切り替われず首相はヒトラーやムッソリーニの如くにはなれず戦後民主主義は簡単にはくたばらない事ははっきりした感もある。
これについては以下で江川紹子氏も同様の見解を示している。
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20200505-00177073/
それでもなお、政府が強権を振りかざし「戦争」モードに入るのではなく、私権の制限には細心の注意を払おうという基本的な姿勢でいる点については、私は評価している。
プロパガンダという言葉も流行らないだろうけど、今まで色んな利害関係の中であれこれ言われていたイメージと実態の乖離がこんなにはっきり出る機会はまずない。しかもあらゆる国と人々が。コロナはまるで国家に対する全国一斉抜き打ちテストのよう。
日本はどうか。数値は全く悪くないにも関わらず、政権支持率は下がっており自己評価は低い。どうもコロナとは違う問題に立ち向かっている気がします。
ソーシャルディスタンスは国民国家を強く意識させると同時に、家族の濃密な空間を演出している。
向き合わざるをえないのは誰か。