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「切込隊長現象」とは何だったのか

「僕たちはかつてブログで体験した、あの魅力を語ることばをまだ持っていない」

みたいなことを言っていたのはid:p_shirokumaだったか。

おそらく同じように、僕たちはあの時体験した「切込隊長現象」がいったい何であったのか、それを語るすべをまだ持っていないのではないかと思う。

 

たぶん早すぎたのだ。腐っていたのである。

 

「なぎ払え」

どかん

ドロドロ

 

それはその片鱗を束の間垣間見せ、ふいに雲散霧消しネットの闇に消えていった。

その証拠に見よ。今の切込隊長こと山本一郎を。ただの小説家志望の好青(中)年にしか見えないじゃないか。まるで憑きものが落ちたよう。

そう、あれは確かに何かが憑いていたのだろう。

僕らは巨人の影に触れ、怖れ慄いた。振り返ってその全貌を見た者はたぶん、まだいない。

 

 

 

かつて失望補正というエントリにて「ネットを見る目が出来てくる」話を書いた。切込隊長は誰かに敗れたわけではなく、見る側のモノを見る目のその水位の上昇に対応できなかったのではないのかという。はてなが迷走しはじめたのにも、案外そんなとこが原因の一端にあるのかもしれない。

思うに切込隊長こそ『僕たちの洗脳社会』のいう洗脳競争を勝ち抜いた圧倒的な勝者だった。しかし同時にそこで示された「オピニオンリーダー」などということばに収まるような、そんな存在では到底なかった。

岡田斗司夫は洗脳する側に注目した。岡田斗司夫はすでにオピニオンリーダーでもあったのだからそれも当然。

オレは世界に見る目としてのみ存在していたひきこもりであったから、見る側から考えた。だから「洗脳」を「信頼」と読み替えたのだと思う。信頼とは要するに自分の目を信じるということであるから。

 

で圧倒的なスピードでどんどん目が出来てくる快感というのはとても素晴らしい体験であったのだけど・・・

そうだね、あの頃のインターネットは楽しかった。

ドリフの思い出と"おとうさん"の言葉 - 「俯瞰的錯誤」のお年頃

 この辺りの感覚というのは非常に共感するところ大で、その行き着いた先には実に荒涼とした世界が広がっていたのだった。

ただ進化というのは一方向に進むとあっという間に行き詰るわけで、オレはこれは振り子みたいなものじゃないかと思っている。猛烈な勢いで進んでいた流れがその勢いを失い、波が引いていくのを実感した時、オレはこの波は必ず帰ってくると信じた。前よりずっと大きな波になって帰ってくるんじゃないかと。まぁ根拠なんかなかったけども。

 

ずいぶん経ったけど真性引き篭もりのあのエントリがやっぱ潮の変わり目だった。

ようやく夢の続きが見られそうな予感。

鍛え上げた目でもって、今度は畏れず振り返り、影しか触れえなかったその姿を垣間見たい。