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純粋2次元の世界のアリス

鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : メカAG

宇宙人に箸の持ち方を教える - 「で、みちアキはどうするの?」

こないだ『アリス・イン・ワンダーワールド』という映画がテレビで放映されていて、ついうっかり最後まで見てしまった。
でリンク先の「鏡が左右を~」を読んでつらつら考えているうちに、鏡の中の世界ってやっぱりあるんじゃないかという気がしてきたもので。



鏡の問題が異常に難しい問題で、深く辿るとオレの理解を絶するということは分かった。しかも色んな人の認識がずれており、共通了解を得ること自体が難しい問題なんだなと。

結論からいうと鏡というのは「三次元世界」を「純粋2次元世界」に翻訳展開する装置であり、「純粋2次元世界」というのが僕らの通常の認識から隔たっており分かりにくいため、様々な錯誤が生ずるのではないか、という。

純粋二次元ってのは要は数学上の二次元のことで、そこには厚みが存在しない。絵とか写真は二次元に見えるけど、あれは紙の上にインクが乗ったりして厚みが生じてしまってるのでニセモノ。写真なら現像したものでなくフィルムそのものの方が純粋二次元に近いけど、さらに近いのはおそらくデジタルカメラで撮影された画像のデータだろう。ここまでくるとほぼ厚みが消滅してることが理解できる。

鏡について考えるとそこでは地の素材である鏡という物体を見てるわけじゃないよね。反射した光を見ているというのは、紙の上にインクの替わりに光を乗せているということだ。もちろん「インクを見る」というのもインクにぶつかって反射してきた光を見てるに違いないんだけど、そこにはインクに相当する物質的基盤がないので、そのぶんだけ純粋二次元世界に近づいており、概念上の厚みが無くなってしまっている。(「水面」に厚みがないように)

そして純粋二次元世界というのは厚みがないからこそ容易に「反転」してしまう。というよりそこでは厚みがないゆえに「前後という概念」自体が消滅しており、反転した像は「同じ」像なんですね。

さらに「前後という概念の消滅」というのがもたらす事態は「対象との距離」の消滅である。反転した像が「同じ」であるように、大きさの異なる同じ形をしたものも「同じもの」としてあつかう。


『アリス・イン・ワンダーワールド』ではアリスが「鏡の中の世界」の不思議として最初に出会うのが身体の大きさを自在に変えられる、という現象。まず最初に妖精ぐらいに小さくなって「世界のドア」を開けて中に入る。

でまぁ最初はその世界を信じておらず物語に対しても受動的なアリスが、その世界に積極的に関わろうとしはじめたら今度は巨大になるわけです。これがよく考えるといかにもな演出で、つまり「世界との距離」を「身体の大きさ」で表現してるというわけ。鏡の中の世界の論理として。

遠くにいるものは小さく、近づいてくるとだんだん大きく見えてくる。

これは目の機能そのものだ。この二つを違うものと認識してしまったら、ライオンに食われてしまう。同じ形ならそれは同じものだ、と目は認識するようになっている。

「距離」はこれらの受容した情報から想像し構成した概念上のものであると同時に一種のイリュージョン=錯誤である。


***


鏡の世界=純粋二次元世界というのは一見すると想像を絶しており、ぼくらの認識構造から隔たっているように感じる。

ところがよくよく考えてみるとぼくらの「内的世界像」の三次元性が想像的に創造されたものであって、その素材である「受容した情報そのもの」はむしろ二次元情報でしかありえない。

心理学ストーリー「五感の質屋」
心理学ストーリー「五感の質屋」第二回
心理学ストーリー「五感の質屋」最終話

人間がたった一つだけ五感を残せるとして何を残すか。

それは触覚である。

最も大事な感覚器は触覚であると同時に、それは最も原理的な感覚器でもあり、その他の感覚というのは「触覚のバリエーション」にすぎない。目によって光に「触れて」いるのであり、耳によって振動に「触れて」いる。

触覚は皮膚という平面上に散らばっている。それははがして、なめして、実際凹凸のない平面にすることが可能。

エジプトとの間のパピルスの取引市場は帝国崩壊とともに途絶えてしまい、中世ヨーロッパにおいて書籍をつくるためには別の材料を探さなければならなかった。そこで選ばれたのが羊などの獣皮だったが、これも商業的な産業はすでに衰退していた。このため修道士たちは獣皮を写本の材料に加工する難しい技能を独自に習得し、みずから製造するようになった。いまのような紙が登場するまでの約1000年間、本の材料はヨーロッパにおいては獣皮だったのである。

http://renzaburo.jp/contents/071-sasaki/002/index.html

獣皮に言葉を書き記し本にしていた、とは実に象徴的。

目の前のコップを両手で包みこむ。そこに三次元の厚みを持った確かな物質があると感じる。ところがそこで起こっていることは実質的には皮膚という平面空間上への刺激でしかない。脳に入力される情報とはそのようなものだ。立体感は平面上の刺激を再構成して生ずる。

このことは触覚が感知するもう一つの刺激である「温度」を考えるとよりはっきりする。平面上の刺激の分布、という性質は全く同じ。にもかかわらずそこから立体感は生じない。立体的なものに触れたから立体感が生じている、わけではなく、それは後から想像的に創造されたものだということ。

でこの性質が皮膚以外のあらゆる感覚器に備わっている性質で、その延長線上にしかありえないということ。


とこう考えていくとやっぱり「鏡の中の世界」はあるでしょう。というかホントはそこに住んでるんじゃないの? 純粋二次元空間に極めて近い位置に。



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ついでに前々からの疑問。

ゲゲゲの鬼太郎』のエンディングだったかに両手に目のついた妖怪というのがいたと思うんだけど、この妖怪が両手を向かい合わせて目の前のコップを左右から見た時、そこでコップはどう認識されるのだろうか? どのように見える?